「日常」"最終巻"十巻特装版を読んだ

──自分にとって「日常」がいかにどれだけ、好きで大切で思い入れの深い作品であるか。

自分(筆者)のことをちょっとでも知ってる人にはもはや説明なんてしなくても「そんなの分かってるよ」と返されるだろう、と自負している程度には「日常」という作品が大好きで大切で思い入れがあって、「我が人生」であり、いわば「青春」そのものである──と断言できるので今さら「好きになった経緯」や「自分はどれだけ『日常』という作品が好きであるか」ということについて改めて話す必要はないだろう。というかその辺について説明しようとすると十中八九どころかヒャクパーまどろっこしくなるので、検索結果などからこの記事に辿り着いた人には申し訳ないけど説明は省かせていただく。(なんだこの文体)
 
さて本題です。
 
最後の「日常の192」のラスト前1ページあたりで涙腺がちょっと緩んで、いざラストのページで出かけた涙が完全に引っ込んだ(もちろん悪い意味ではない)。
ちなみに2周目も同じことが起きた。あれはズルいと思う。
「最終巻」を(冊子含めて)2回も読んで、どちらも最後で「あー終わっちゃったな終わっちゃったなもう!(笑顔)」って感じた。1周目こそ最後の方の展開としんみりした気持ちで少し泣きそうにはなったけど、しばらく経つとなんともない普通の自分に戻っていた。自分でもあっさりしてるな! とちょっと驚くけど、「(『日常』があることが自分にとって当たり前になってるから)まあ当たり前だよなあ」って納得する。だって作品が完結しても作品自体が無くなるわけじゃないし。
最終巻の発表があった時も思ったけど、「『日常』の最新話が発表されること」こそ難しくなるけど「日常」という作品がこの世から未来永劫無くなってしまうわけではない。あらゐ先生が地球からいなくなるわけでもない。ましてや自分や世界中のファンの人々から今までの「日常」の記憶が全部消えてしまうわけでもない。「日常」はこれからもこの地球上にあり続けるし、あらゐ先生はこれからも漫画やイラストを発表するだろうし、自分をはじめとする(させていただく)ファンはこれからも「日常」を好きであり続けるだろう。
……というかゆっこ達普通にヘルベチカ(天国)に出てくるし日常完結してもキャラだけなら新しい出番はまだまだありそうだよね。もー身も蓋もないこと言うー!
 
えっとなんだ、つまり「ただ作品が完結しただけ」って感じだった。
「ただ作品が完結しただけ」ってなんだ、って感じだけどそうとしか言いようがない。
ここまで思い入れのあるの完結となると思い出がフラッシュバックして、「おかしいな…こんなに涙が…」みたいになってもおかしくはない気がするんだけど、実際そんなこと無かったし…(涙が滲む程度にしんみりはしたけど)。
 
えーなんだ、なにかひとつふたつ言わせてもらうとすると、
「ありがとうございました」
「多分これからもずっと好きです」
「これからもよろしくお願いします」
 
「それでは
(いつでも読みたくなった時に、単行本を開くことで)またお会いしましょう!」
 
って感じです。
 
……ひとつふたつじゃなかったのかよ!!(ちゃんみお)